ベトナム 日本語教師のブログ

ベトナムの日本語教師の生活など

日本語教師希望者は韓国人が多い、その共通点とは

弊センターで、日本語教師の問い合わせをよく受けるのだが、
最近は韓国人が多い。
元々は留学生で、大学へ進学し、日本で就職した後に教師になるというケースは
珍しくない。
日本でも賃金不足で日本語教師が不足している中で、
日本人ではなく、外国人が日本語を指導することもこれから可能性として
増えていくだろう。
日本人と韓国人の違いが少しだけあると考えている。
指導することはしているが、それを本業だと考えていない。
とりあえず、仕事をして人脈を得てから、営業なりをして収入を得たいと
考える人が多い。あんまり本気ではない、(いわゆるオタクではない)


気持ちとして、分からなくはないが、私は少し違う考えがある。
私の先生は、日本語のプロで、とにかく細かいところまで
知識、情報を積み上げていく方で、受けると感動するのだ。
まるで職人みたいな人だった。自分から営業に行くような人ではなかった。
お客さんからくるのを待っている。口コミで広がっていくのを待っているという感じだ。
私はそれが目に焼き付いているため、自分から営業するとかするのは好きではない。
もっと自分に磨きをかけてたい。





爆走おじさんにビビる。気狂いかと思った。

ちょっとした用事で、本社からセンターへ
雨が降っていたので、タクシーで帰ろうと思っていたが
全く見つからない。
そのため、その辺にいるgrabのタクシーのおじさんに乗せてもらうことにした。
見つけたおじさんは60歳ぐらいのひげ面のオヤジだ。
まぁ、距離も短いし、すぐ帰れるだろうと軽い気持ちで帰った。
早速、バイクに乗り、2人乗りすると、急に逆走をし始めた。
ベトナムでは交通に従って遠回りして回るのがルールであるが、
そのオヤジはルールとか関係なく、無理やり逆走して近道をしているのだ。
「このオヤジ、やばいな」と心の中で思いながら、もうスタートしてしまったから
しょうがないと諦めていた。
直線を走り、信号が赤になった。
そのオヤジはそのまま信号とか関係なく直線していったのだ。
もちろん、信号無視をしているから横から、クラクションが鳴りまくる、
しかし、そんなのは関係ない。というより横を見ていない。
自信満々に赤信号を渡りきるのだ。
赤信号みんなで渡れば怖くないという言葉があるが、
訂正しよう。
赤信号、自信があれば怖くない(ベトナム)
乗っている私は怖かったが、その後、信号は2から3カ所あったが
結果的に全く止まることなかった。
まっすぐしか見ていないオヤジには驚いた。

バイクでベトナムを縦断してきました。|VIETNAM MOTORCYCLE ADVENTURES



記憶に残ることとは?緊張と緩和が大切では・・・

私は子供の時、何不自由もない家庭で生まれたため、
よく旅行も連れて行ってもらった。
母親に、温泉、熱海、海良く行ったよねとかよく言われているが
何一つ覚えていない。本当に楽しかったかどうかも分からない。
良いホテルには泊まったはずなのだが、記憶にないのだ。
ただ、記憶している旅行が一つだけあるのだ。


それは、親なしの田舎で泊るツアーだった。
それは、8歳ぐらいだったか、子供だけで、虫を探したり、ご飯を作ったりする4日間ぐらいのツアーだった。その時の、天気、友達、住んだ場所も覚えている。
そして、すごく楽しかったのだ。


どうして?この記憶が残るのと、残らないのがあるのだろうかと考えた。
私の考えではあるが、緊張があるか、ないかの違いではないかと思っている。
親なしのツアーは、誰一人、面倒を見てくれる人もいないし、自分で考えないといけない
そして、行ったことがないところが多いので、すごく緊張感もあり、そして
新しい友達と遊んだり安心出来た部分もあった。


この緊張と緩和が記憶を残しているのではないかと思う。
私が海外で旅行したりするのも、この緊張感がたまらないからだ。
そして、行った旅行はほどんど覚えている。
特に私が過去最高の旅はカンボジアだ。
カンボジアの地雷原があった村へ行ったときは
ほんとうに緊張感があった。それから、ゲストハウスにあった
漫画ドラゴンボールは最高に緩和できた。祝福だった。
ちょっとほっとして、寝たことが記憶に残っている。
今、ベトナムに住んでいるが、この町もほどよく緊張があって楽しい。
バイク事故にあいそうになるが、ぎりぎりかわしたりとかしている。
理解してくれる人は少ないと思うが、今後もこの刺激を求めて生きていきたいと思う。


よく友達がこう言う「お前といく旅は刺激がおおくて、1日が濃い」
「そう、アドレナリンをどんどん出す経験を求めているからさぁ」






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