Nhật Bản Tổng hợp: Bí quyết hữu ích về văn hóa và sản phẩm

日本まとめノート: 文化と商品の役立つヒント集

私がアジアに来たのは、きっかけはボーリング大会

私はカンボジアに2年、ベトナムに1年と9ヶ月生活している。


ベトナムではもちろん、文化、習慣、食事、考え方も違うから、
日本の基準で考えると、ストレスをためる人も多く
病気になったり、不満や愚痴をいう人は多いが、
私は全くそういうのがない。
なぜなら、カンボジアより数倍マシだったからだ。
それは、人の出会いと、もっと貧しい国を知っているからだ。


私がカンボジアにいた時に出会った人で、すごい人がいた。
農村のボランティア事業で働いていた日本人女性だったのだが、
その人はアフリカからカンボジアに来て、NGOの仕事をしていた。、
働き方や生活を見ていてもびっくりするぐらい良い意味で鈍感力があり、且つスマートなのだ。
アフリカに比べたら、カンボジアはまだ発展しているよ。といわれた時、
この人は本当にすごいと思った。
一番低い所を知っている人は、究極の鈍感力を持っていて、経験を持っている。
話を聞いていても、純粋に面白いと思える。

カンボジアの農村地帯はもちろんインフラも整備されてなく、
食べるのも少ないところで生活していた、私はその時に衝撃を受けた。


私はゆとり世代で生まれ、ほとんど苦労することもなく生きていた。
簡単に言えば、バカ息子みたいな感じだ。生活の仕方が全然わからず、
いつも頑張らなくても、お金が入ってたし、何も不自由なく生活出来ていた。
確かに、楽しいと言えば、楽しいと感じるが、何かつまらないという感情が
どこかであった。私は、ほとんどしたいことはなく、勉強もしたくない、ただケームだけ
していた。長時間していても、怒られることもなく、ダラダラ過ごしていた。
ただ一つだけ興味があったのは、外国人交流だった。
たまたま、学校のイベントで外国人と一緒にボーリング大会があり、それだけは
すごく面白かったのを覚えている。当時、ボーリングが190点とかハイスコアを出していたので、賞金をもらったりできるし、可愛い子と会えると思ってしていたのだが、
実際してみると、外国人と日本語交流するのが面白いと思った。そんな私は、将来、海外で働きたいと思うようになり、大学も国際関係を専攻し、今に至るという感じだ。
今後、外国人が移民するようになり、そしたら国際的な人増えてくると思う。
でも、私は別に英語を勉強する必要はないと思う。日本語でいろいろな国の人と
ボーリングやサッカー、ダンスを通じて交流できるような人材ができればいいと思う。
それが私に今の仕事のきっかけになったから。